(マコト*ジテン)

はじめに、、、、

 

誠さんの20周年を機に何か出来ないだろうか、、無いアタマ無理矢理絞りました(苦笑)。
そこで、誠さんにまつわる、、コトバ等々について少しまとめてみようかなと思いついた次第です。。

(・・・本来、もう少し早めに始動させる予定でしたが、自分の不手際でデータを一部なくしたり等で、手こずりました(汗))

 

少しずつ、載せてみますね。もし、自分でもコメント書きたいという項目がある! などご提案があれば、是非メールを送って下さい。お待ちしています。

 

これから、作り上げていくうちに、少しずつカタチを変えることもあるかと思いますが、まずは少しだけ公開いたします。

 

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

 

【あ行】

 

*アーユーレディ

ライブが佳境に入ってきた時の、誠さんのアオリ文句の1つ(笑)。ちゃんと「イエーッ」とお返事しましょう^^
(
そういえば、サイトウマコトマンTシャツの背中にも書かれていましたね。)

アロハオールスターズでのライブでも、すっかり有名なアオリ文句になってきました。これは素晴らしい。
ただし、発音はAre you ready?ではありません。くれぐれも、カタカナ読み「アーユーレディ」ときっちりカタカナ読みにして下さいね(注意)。

 

*アンケート

ライブの時に、必ず配布されます。ライブの時はちゃんと「もらったかな?」と確認するクセがついてしまいました。
しかも、アンケート用紙は、誠さんご自身で準備されているそうです。

もう随分長くこれを続けてらっしゃるとのことで、ちゃーんと取っていらっしゃるんだそうですよ。
あれを酒の肴にされているとのことですから(笑)、出来るだけちゃんと記入して・・・当日無理でも、出来るだけ後でお戻ししましょうね(願)。

 

*アロハオールスターズ

2001年のAloha Festival(当時誠さんが所属していたアロハプロダクションの所属アーチスト大集合のお祭りライブ、、かな?)にて初めて結成されたセッションバンド。

Skoop on Somebody
 SAKURA 斎藤誠 平松八千代 石原千宝美

当初はAloha All Starsという名前はなく、、、
2002年の夏のFM局主催の記念ライブ(大阪と仙台)の時には、既にこの名前がついていました。勿論誠さんがバンマスです。
その後、鈴木桃子さんが参加し、2002年のAloha Festivalにもニューカマーも参加して、再登場。
2003
年の3月には札幌でもライブがありました。この分だと、まだ続いていくかもしれませんね。

それにしても、いろんな人がフロントに入れ替わり立ち替わりのライブは、とびっきり楽しい。
し、みんな唄が上手いのです。聴いて決して損はなし!!
「音楽って、すんごくたのしー!!音楽大好きでよかった 」とココロの底から叫べるライブです。 」

 

*アイコ16

富田靖子さん主演、今関まさよし氏監督の83年公開のこの映画で、デビューの頃のマコトさんが音楽監督をされてました。
原作者の堀田あけみさんが高校生作家というのも、当時話題を集めたような気がします。
映画の中での挿入歌「Oh!キャティー」は一番おしまいのシーンで流れました。
マコトさんの二枚目のシングルとして翌84年に発売でしたかな。(そのB面は何と、アメリカよいよい)
ライブでは、ここんちお目にかかれてない歌ですが、またいつの日にか生で聴いてみたいデス。(mikiさん)

 

*Al Green(ある・ぐりーん)

言わずと知れた、メンフィスはハイサウンドといったら彼です。誠さんが大好きだと公言するソウルシンガーです。
自ら生唄などで彼のナンバーをカバーしたり。(Let's stay together, Take me to the river,・・・etc
オリジナルアルバムでも、サウンドのエッセンスを取りこんだものが、必ずあるとまでおっしゃっています。

そんなに愛していらっしゃるのに、なぜか2003年リリース「Waltz In Blue」には彼の唄は収録されていません。
おかしいなあ?と思ったのですが、、、いえいえ、サウンドはきっちり取り込まれていたようです。(さて、どれなのかわかりますか^^?

カフェララルの中で、彼のことをお話されていた回がありますが、
誠さんならではの視点があって、、面白かったです。
サウンドそのもの、唄そのものもだけでなく、その曲作りの手法に惹かれるのだというお話でした。

現在は、牧師としての活動もされているようですが、2004年のアルバム「I can't stop」で、その健在ぶりを示しました。

 

*映画

ご自分のラジオ番組の中の1コーナーで、映画紹介コーナーを持っていらしたほどの映画好き。
そちらでは、すぐにでもレンタル店などで作品を手にして見られ、かつ、泣ける(ここが大事^^)ものを中心にセレクトしていました。
時に、その思いが強すぎてつんのめり気味になりながらも(汗)、その作品に寄せる思いを熱く熱く語っておられました。
(
余談ですが、映画ファンとしての誠さんが培われたのが静岡にお住いだった頃だとか。
2005
年のマーティンクラブコンサートの中で、当時よく通った映画館が未だ健在なのを確認。
すごく喜んでおられたのが印象的でした。)

 

*オールナイト!

誠さんのライブ中の決め文句のひとつ。
大抵、最初のMCで「今日はオールナイトで!」と軽くホラを吹く(笑)。
だけど、お客さんがそれでわーーーい!!と騒ぐと
「んなこたぁーないっ!
とサクっと切って落とす。

・・・2つはほぼセットとして用いられますね(笑)。

 

*奥田民生

そもそもは、誠さんが一時所属していた事務所つながりから始まっているのではないかと思います。

2000GTRのイベントのビデオを、ファンの方に見せていただいたことがあります。

誠さんとデュオを組んだり、バンドを組んでみたり、、、楽しんでました。

 

ラジオか、雑誌か、webで読んだのかよく覚えてないんですが^^;1年でそんなに頻繁に会う間柄ではないそうですが、、

年代などを超えて、リスペクトでつながっている印象が私にはとてもあります。

 

Waltz In Blue」の中では、微妙な距離感のある男同士のデュエットを「ノーノーボーイ」で披露されていますね♪

このアルバムでは、3曲(更にもう1曲、誠さんのオリジナル新録)が収録されていますが、そのうちの1曲が「The STANDARD」でした。

 

*お約束

その1 ラジオなどの生唄を歌われる前に「あ゛っ、こんなところにギターが。」と、すぐそこにあるのがわかっていても、敢えて言う^^

その2 ライブでのお約束あれこれ。

●初恋天国 で、曲間で「は〜い♪」とちょっと可愛く言う。もしかしたらあなたに素敵な春が訪れるかもしれない^^(某北の地のライブのMCより)

Missing Serenade  間奏のところで合図をいただいたら、すかさずクラップ。ちなみにこれはアメリカ南部のリズム「セカンドライン」というのをフューチャーしているそうです。

●沸点 誠さんやバンドの皆さんとともに思いっきりジャンプしましょう♪そのキッカケは「沸き上がろう」コレです。

●歯が痛い 途中で誠さんが痛みに?苦しんでステージで倒れる?? 最近ではバンドのメンバーが全滅してしまうこともあり、演奏が止まったこともあります(於 2002年クリスマスのクロコダイルのライブ^^

まだあると思いますので、昔のお約束など含めよかったら教えて下さい。バンバン加筆します。

 

*音楽屋

世の中には、「〜屋さん」ていうものが幾つも存在します。
八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さんみたいな商売をされている、というものと、政治屋さん、、、的な、ちょっときな臭さのあるニュアンスのものと・・・。

そのどちらとも違う響きを個人的に感じているのが、誠さんが自らを、もしくはその仲間のことをお話になる時に使うところの「音楽屋」。
勿論、音楽をその生業としているということなのでしょうが、それだけでなく、音楽をやっているご自分たちを、謙遜しながらも、確固たる「誇り」も感じられる、、、実はちょっと好きなコトバです。(これは個人差あるかな^^

 

【か行】

 

*カフェ・ララル

2001年4月1日〜2004328日まで、FMヨコハマにてオンエア(しかも生放送^^)されていたレギュラー番組。
誠さんのパートナーは、海大好き^^でとってもパワフルな女性・藤沢香苗さんです。
勿論、このララルというのは誠さんのデビューアルバムから来ています。

コーナーは幾つかあれど、やはり本領発揮というのは「生唄コーナー」ではないでしょうか。
毎週毎週、洋楽から新旧問わずにセレクトして唄って下さいます。たまにオリジナルを唄われることもあります。

この番組に関しては、私の別コーナーで詳しく且つ、シツコク書いています(笑)。参考にして下さいませ♪

 

*ギター

常に誠さんが唄うときは、ギター(エレキであることもあるし、アコースティックであることもある。)が一緒にあります。
というか、唄とギターは切っても切れないもの
新しい「愛の唄」が誕生する時も、まずは弾き語りで始まることが多いようです。
例外的に、一度だけライブでハンドマイクで唄われたのを見たことがありますが、どことなく居心地が悪そうに見えたのは気のせいでしょうか。

満足にコードが押さえられない幼少のうちから、ギターそのものには馴染んでおられたそうです。
(まるで琴を弾くかのような押さえ方だったそうですが、一度昔のVTRで見たことがありますが、それはそれは見事でした!!

フェンダーのテレキャスターシンライン1977年に誠さんの手元に。)は、一心同体というか、もしかしたら誠さんの分身。
特に、赤いボディのそれは象徴的なものなのかも。
デビューアルバム「ララル」のジャケットに誠さんと一緒に写っているのも、実はコレなんです。
色は違っていますが、後に塗り替えられて今の赤い色になったそうです。
10
枚目のアルバム「Careless Memories」の盤には、こちらがプリントされています。
実際に、ライブでも使われる頻度がとても多い「メインギター」です。
嘘かマコトか(笑)飲むときも一緒に連れて行く^^と、公言されておられます。

 

*客入れBGM(きゃくいれびーじーえむ)

ライブの前・そして後には会場に音楽が流れています。
誠さんの場合もそうです、とても大事に考えていらしてライブはもうそこから始まっています。
選曲・曲順もご自分でされていらっしゃるようです。

(それがこうじて、2002年の桑田さんのソロツアーでの客入れBGMも誠さんの手によるものです。その年末のライブでは、誠さん編集によるMDがライブでプレゼントされたこともありました。)

特に力の入ったものについては、ご自身のサイトでリストを公開したり、またライブで事前に配布して下さったこともありました。

(
私自身が印象に残っている曲の1つは、2002年のフルメンバーによるツアーの時。
このときの終演と同時に流れたのが、「Have I told you lately」(ヴァン・モリスン)。未だにいろんな思いがよぎり、涙腺に少し来てしまいます。)

 

*桑田佳祐

言わずと知れた、偉大なるバンド「サザンオールスターズ」を率いるボーカリスト&ギター。
アメリカやイギリスの音楽といった洋楽達に影響されて音楽を始めた誠さんが、日本人で影響をうけているというのは間違いなく「彼」である、とインタビューでもおっしゃっているほどの人物。

誠さんが、某有名予備校^^在学中、お兄様に連れられて訪れた青学の学祭で見かけたのが、一番最初の「出会い」らしいです。青学入学後から交流が始まり、もう四半世紀以上にもなるというつながり、、、
未だに、先輩後輩モードになることもあるようですが^^まあ、それもシャレ、、照れもあるのかなあという感じです。

サザンオールスターズや、メンバーのソロ活動のサポートなどにも度々参加されています。

桑田さんの誠さん評の中で、「一番私が好き&印象的」なのは

「音楽的に一番信頼している」

です。

 

*グレイスランドへようこそ

今から15年程前でしょうか、いや87年でしたかな。
FM
横浜でのマコトさんのラジオ番組のタイトルです。
ギター一本での素敵な生歌コーナーもありました。
そこで紹介されていた歌の数々は、マコトさんが今でもよく唄われている楽曲かと思います。
番組は一年半ほど続いたかなと思われます (mikiさん)

 

*刑事あいうえ音頭

83年デビュー前あたりに、マコトさんがお友達と自主制作された8mmフィルム映画のお題です。
その映画は、クレイジーキャッツ無責任男シリーズに捧げた敬意と言うんでしょうか、賛辞と言うんでしょうか、そんな感じの内容かと思ってます。

監督は小中千昭氏、マコトさんは音楽担当でもって、出演もされています。
マコトさんが敬愛される植木等さんもご登場で、ビックリ!でしたが、確か、渡辺香津美さんも出ていらしたのだ(と思います)。凄いー、豪華キャストでしたね。

ワタシがその地元のライブハウスの上映会に参りましたのは、きっと多分、マコトさんが渡米された85年の秋だったかな、、と思っております。
行ってしまわれたこの時期に、、と嬉しいような感傷的になるような変な具合な当時の乙女ゴコロでありましたとさっ。(mikiさん)

 

*ゲンちゃん、クーちゃん

誠さんとこの愛猫ちゃんたち。(2匹とも女の子)

元々は、斎藤家の軒下で生を受けたというノラちゃんとのことです。

その愛されっぷりは、以前エフヨコで担当されていた(0104-0403)ペット自慢^^コーナー(なつかしのワンニャンウェルカム、トゥー♪)

でも披露されたり、誠さんのサイトにもちょこっと登場したりもしています。

アルバム「POP ROCK SHOP」に収録された「バースデー」にもそのカワイイ歌声(^^?)が収録なり♪

 

*神戸チキンジョージ(こうべ ちきんじょーじ)

誠さんが数多くのライブを行ってきている中で、おそらく一番多く出演されているのではないかと思われる神戸・生田神社の目の前に建つライブハウス。
95
年の阪神淡路大震災で倒壊の憂き目に遭いつつも、そこから見事に立ち直り、今日もきっと数々の素晴らしいライブが行われている筈の素敵な場所。

誠さんのデビュー間もない頃から、現在に至るまでご出演。
見る側にも、とっても楽しい雰囲気でライブが見られる場所のような気がします。
私もここでのライブは、多少難しいスケジュールでもナントカ遠征をしても見に行きたいと思う場所の1つです。

(以前、MCで言われていた、CHICKEN GEORGEのスペル問題・・・・詳しく知りたいところであります^^

2008年、更にリニュアルし新しい建物になったようです。

 

【さ行】

 

*斎藤誠 初めてのホームページ(site of my court)

1998825日開設以来、着々と日々成長^^をしている、誠さんのオフィシャルホームページ

とはいえ、更新等全て誠さんご自身でこなしていらっしゃいます。正真正銘の手作り^^
そのせいか、誠さんの「いや別に独り言です。」・・・日記になりますが、更新はとてもマメです。
これが、ライブが近づくと毎日更新^^というファンにとってこんなに嬉しいことはない、、、
だけど、疲れてらっしゃるのに大変だろうなあ(汗)・・・・ライブが無事終るまでこれが続くという^^

また、掲示板を設けないかわりに、「夕陽の交差点」にて、誠さんのもとに届いたメールをコメントつきでアップして下さっています。
これもまずセレクトすることからして、半端じゃない量だと思うのですが、、、まして編集作業も、、、(^^
やはり、何かしらヒトコトいただけるとスゴク嬉しいですよね。
以前、載せる(基本的に公開OKというものしか掲載されていません。)基準というのは、、気に入ったもの、返事を書きたいもの、、、ということをおっしゃってたと思います。

また、過去データのコンテンツもかなりのものです。
お時間のある時に、是非是非ご一読を、、、^^  くれぐれも迷子にならないように^^、お気をつけ下さいね^^

 

*サザンオールスターズ(内容にダブりありますが、桑田佳祐の項と併せて読んで下さい^^

詳しい説明は不要^^? 言わずとしれた、数多くのヒット曲を持つ偉大なる国民的バンド。

私がもはやここで語る必要もないくらい、誠さんとの繋がりは長く深い^^青山学院大学の非公認(なので、ちゃんとした部室がなかったらしい)音楽サークル「ベターデイズ」の先輩後輩というのがそもそものキッカケ。
誠さんが青山学院大学に入学した年は、サザンはデビュー直前。、コンテストへも参加していた頃。
当然のことながら、まだファンのいないこのバンドの一番最初のファンでいらしたのかもしれません^^

ボーカルの桑田さんがベストボーカリスト賞を獲ったその大会では、誠さんたち後輩はサクラ部隊としても大活躍^^サクラの重要性を知らしめたりも^^

以後、サザンのレコーディングでのお手伝いや、メンバーの各ソロ活動など含めライブサポートやら楽曲提供なども数多いです。
誠さん自身がデビューした後も、84年のスタジアムツアー(熱帯絶命)でオープニングアクトを努めたこともありました^^
サザンオールスターズのライブサポートとしては、20002001年の年越しライブ「ゴン太くんのつどい」が実は初めてだったり!!

そして、2003年。

20
周年記念のアルバムでは、念願叶ってサザンの初期の名曲「別れ話は最後に」をカバー
誠さんが一番最初に聴いたサザンのナンバーであり、サザンといえばときかれると・・・必ず誠さんがピックアップされるナンバーです。
先輩になんと言われるか、、、、非常に緊張されたらしいですが、、「サイコー!!」とお墨付きをいただき、ホッとされたみたいですね^^
(最初、先輩がある日、酔っ払って電話してきたものだから「真意がわからなかった^^;という誠さんのお話がありましたが、、実に桑田先輩らしいですが^^;; ほんとにほんとの感想だそうです。)

 

*渋谷公会堂(現・C.C.Lemon Hall)

かつて、デビューされて間もない198410111985720の2回、ソロでライブをされています。
イベントライブ等でも出演されたことのある、このホールには特別な想いがおありの様子で、
是非またこの場所でのライブをと考えていらした様子です。
・・・そして、18年ぶりに2003104日に、その夢が叶いました。

 

*写真集&写真展

写真家の六本木泰彦氏が、特にマーティンツアー中の誠さんを撮ってきた膨大な枚数の写真。
これをもとに、写真集が出来ました。
モノクロが中心ですが、その場の雰囲気、音色、息遣いの全てが温かく伝わります。
また、これにはそのライブを収録したCDもついています。ごく短い新録を含めた、貴重な音源だと思います。

写真展は、やはり2005年の赤レンガ倉庫のライブ前にロビーにパネルを展示したものでした^^
いずれにしても、両方ともデビューして20余年、、初の試みってのが素晴らしいじゃないですか!!

 

*鈴木桃子 ex コーザノストラのボーカル。

以前、誠さんが所属していた事務所が同じだったこと、ラジオのゲストにいらしたこと、、

などなどのいろんなタイミングが重なる^^

 

根本要さんも出演された20周年のイベント他、ライブのゲストにお呼びしたり、また逆に、誠さんがお呼ばれすることも何度か。

 

ツインズのママでもあり、その佇まいは圧倒的にcute

唄うとsweetなだけでなく、俄然そのボーカルにはすごいパワーが宿るという印象です^^

で・・・そのcuteさゆえか、誠バンドの中でも熱烈ファンは多し^^

 

Waltz In Blue」では、ドゥービーブラザースの名曲「You Belong To Me」にもゲストボーカルとして参加。

 

*スマッシュ・ヒット・アルバム

どうも誠さんの中では「チェンジ・イット」がスマッシュ・ヒット・アルバムとして位置付けられている事が多いようです、私の知る限り。
ちなみに私が誠道(あえて「まことみち」と読んでください)に引きずり込んだ義弟はライブでそのセリフが誠さんの口から出ないと寂しそうな顔をしています。(子連れINUさん)

 

【た行】

 

*高橋結子(たかはしゆうこ 通称・けっちゃん^^)

ドラマー、パーカッショニスト。

多分誠さんとは、ゴメスのレコーディングの時が初対面だったのかな。

 

けっちゃんのwebのロングインタビューにも出て来きたのですが、(ここ と ここ)

誠さんがプロデュースで関わったおかげで、ベーシックなレコーディングから、きちんと参加出来たのだそうです。

だから、誠さんにはすごく感謝しているとのこと。

というのも、他の楽器が全部入れ終わって「ハイどうぞ」的な局面しか用意されておらず、、、

「・・・もうどこにも音が入る余地がない」と途方に暮れるのが、当時はザラだったのだそうで、、、

 

数多くのライブやレコーディングに参加されて大忙しのようですが、誠さんのライブや、桑田さんのライブなどなどにも参加。

the bondのライブにも・・・ゲストの筈がレギュラー化した模様。

同じ打楽器奏者のカースケさんを始めとして、メンバー皆さんの温かい眼差しに見守られているようでした^^

2009年現在、the bondは活動休止中)

 

余談ですが、現在立ち上がっているthe bondのブログは、けっちゃんの手によるものだそうです^^

 

*Change it(チェンジ・イット)

1987NYから戻った後に出たアルバム。

85
年前後に、アメリカに渡られた方は何人かいらして。
帰国の際に、ヒップホップの要素を持って帰ってこられるケースが多かった時代でしたよね。
(
・・・佐野元春さんも少し前に行ってらっしゃいました。私もちこっと聴いてました。)
そういう状況を考えてこのアルバムを聴き直すと、面白いかもしれないですね。

誠さんご自身も、このアルバムに関して
「あの時NYに居たのに、「静か」だってよく言われます」
て、お話されてたのを聞いたことあるし、、
音楽評論家であり、古くからの知り合いである萩原健太さんの証言だと、
NY
では「だけどよく、ポール・サイモン聴いてたよね」。
自分の勝手な想像でしかないので、違ってるかもだけど。
もしかしたら、ご自分の中のいろいろなものを整理したり、見つめ直したり、、ということを、じっくりされたかったのかなあなど思ったりもします。
たまたま、NYだったけど他の場所でもあり得たのかなあとか、、これはホントーに勝手な想像です。

 

*DENONミュージック倶楽部「出逢いがなければはじまらない」

マコトさんがデビュー後、はじめてラジオ番組を>担当されたかと記憶しております。

その当時の同じレコード会社(日本コロムビア)の山下久美子さんのマスコットで最初は出演されていました。
そののち、マコトさんお一人で番組をされていましたかな。
月曜日の東京FM系列の夜8時からの番組でした(多分、、)。(mikiさん)

 

追記
84
年の年末くらいだったのでしょうか。
番組内で行われた、前任のDJでいらっしゃった山下久美子さんとのジョイントライブの模様のオンエア・・・・こちらの録音を聴く機会がありました。(Kさまありがとう^^)

場所は大阪厚生年金会館。
それぞれのパートの他、各々の持ち歌で、デュエットされる場面もありました。
誠さんバンドの演奏は、勿論STRiXだったんでしょう^^
Telephone」「或るグレイな恋の場合」「THAT'S YOU」などなど・・・・私は初めてライブの音で聴きましたけど「恋のやりとり」。
それから、番組の最後にはメッセージの呼び込みソングも唄われていました。
勿論誠さんのオリジナルなんでしょうね^^

 

【な行】

 

*生唄

ラジオ出演の際、ギターと共に出られることがとても多いです。
その時に、時々は「あ゛っ、こんなところにギターが!!という前フリがあったりもするのですが(笑)。
そして、生唄と称して・・・言ってみればミニライブとでも申しましょうか。そんなこともよくあります。
公開放送でそういうシーンに出会える時は格別かもしれません。

生唄リスト作ってみました。今までのラジオ出演やライブ等から引っぱっています。まだほんの途中といったところで、今後も追跡調査・整備など行っていきます。)

 

*南條ソウルバンド(なんじょうそうるばんど)

1991年結成。
主に横浜(関内FRIDAY)東京(高円寺JIROKICHI)にてライブ活動を展開中。
演奏楽曲は、バンド名から伺える通り60,70年代のソウルの名曲がテンコモリ!!

私も2002年以来、事あるごとにライブを見に行っておりますが、、言葉だけではこれは表現できません。
ライブすごく楽しいです、すごくすごく元気を貰えます、黙って座ったままでなんてとんでもない!!・・・踊らずにはいられません。

こちらのバンドメンバーには、誠さんのライブでもおなじみの成田さん(Dr深町さん(Key&Vo)角田さん(B)が在籍しています。
また、ボーカルの南條さんは誠さんのアルバムでコーラスに参加されていたりもします。
そういうわけで、このバンドと誠さんの繋がりは強く。
時折ライブをご覧にいらっしゃる・・・だけでなく、ギターを持って参加されることも何度となくあるようです。
ロックだけでなく、ソウルも大好きな方でいらっしゃいますから、Al Greenのナンバーはじめその歌声も聴かせて下さったり。(・・・というか、私は見た!!(笑))

それはそれは、音楽を心から愛している皆さんなのだなあと、改めて嬉しくなるライブです。

 

*根本要(from スターダストレビュー。)

誠さんとは同い年^^

デビューの頃に、学祭の楽屋が誠さんたちと隣り同士で、、、というエピソードはかなり可笑しいです。

 

誠さんのSHIBUYA AXでのデビュー20周年のイベントのときに、ゲストとしてご登場されたときが、未だに鮮烈かつ語り草^^

 

人呼んで「ロック漫才」^^

 

誰かが止めないと、話が収まる余地がないくらい、まあ、、話が続く。

次々とご自分たち曰く「音楽バカ」ならではの、音楽ネタが出てきて、それがまた飛び切りおかしかったりする、、、

笑いすぎで、椅子から転げ落ちなかったのが不思議なくらいでした。

ギターを手にしたら、手にしたで・・・またひと盛り上がり^^

そのイキオイで、セッションも^^

その後も、誠さんのラジオに遊びにいらして下さったことも何度か。その度に違う話で盛り上がります。

 

但し、お2人とも1ミュージシャンとして立ったとき、音楽への愛と表裏一体ともいうべき、妥協を許さない厳しさも感じます。

誠さんとはリスペクトの関係なんだな、と思っています。

Waltz In Blue」では、「Baby I'm-a Want You」をデュエット。

 

*ネブラスカ

誠さんが、ギター1本のみで行うライブのこと。
それをなんで「ネブラスカ」と呼ぶのか、その理由は、ブルース・スプリングスティーンがギターとブルースハープのみで唄ったアルバム「ネブラスカ」(1982)からとった、・・・単純にそういうスタイルだからということらしいです。
詳しくはよくわかんないですけど^^以前、ラジオでそんなお話をされていたと思います。

記念すべき第1回目は、19961229日のこと。今はなき東京の「新宿日清パワーステーション」で行われたもの。

管理人は本格的な「ネブラスカ」は2002年に一度神戸チキンジョージで経験があるのみで、詳しくは書けませんが。
ほんとーに、ステージには誠さん1人しかいません。
それと、何本かのギターたち。
それから、アナログ盤等の入ったブリーフケース(一度、どこぞにて破壊されたという噂もあるみたいですが、、、^^;)。
ステージにはアロマランプもあったり。

「僕の部屋へようこそ!!!

そんなニュアンスもあるのかなあ、、、管理人の見たときはそんな雰囲気でした。
途中で恒例?の会場からのリクエストに、その場で応えるという場面もあります。(そのときに、ここぞとばかりにブリーフケースから過去の作品を取り出すのです^^
これが結構ハラハラどきどきものです^^そうそう、神戸ではネブラスカ始まって以来のギブアップという事件も起こりました^^

ギターの柳沢230二三男さんと一緒の
「ネブラスカ+(プラス)、、
更に、センチメンタルシティ・ロマンスの中野督夫さんも加わっての
「トリオ・ザ・ネブラスカ」(略してトリネブ)なんてすごい展開もありました。
くぅぅ、、一度見たかったな。絶対素敵に違いないもん。

これは今後もいろんな展開があると思いますので、随時内容追加していきます。

書きました通り、管理人あまり見た:経験がないので、、こんなこともあったよーとか情報提供あればドンドン書き加えます^^どうか、宜しくお願いしますm(__)m

2009年に、25ヶ所というたくさんの街を回るツアーに出られます。

 

【は行】

 

*BALLADS' BEST(ばらーどべすと)

200410月リリース。

誠さん2003年までの作品の集大成のひとつ。
特に、誠さんの楽曲の中でも多いバラードナンバーをご自身でセレクト。
(それゆえ、あれがないこれがない・・というファンもきっといらっしゃるでしょう。)
バラードは、誠さんの音楽の全てではないけれど、かなり重要な位置を占めるものだと思います。

ほぼ時系列に収録されているので、聴きながらその20年分のタイムトリップが出来。
聴き手が、誠さんの唄と出会った頃の自分や、その時々の自身の心境についても思いを馳せたり、、
70
数分の間に、実に色々な思いがアタマの中を駆け巡る。
ブランク明けに出来た曲など、、感慨深いものがあるようですよ。数年の実時間の流れが、このアルバムではほんの0.何秒という隙間しかない。

そして、このアルバムの素晴らしいところは、複数のレコード会社の垣根をうまく乗り越えることができ、一枚にまとめられたことかもしれません。
誠さんの思いをよく知り抜いた、スタッフの皆さんの素晴らしいお仕事であるのかもしれません。

ライナーノーツにも、誠さんのコメントが添えられていたり。(中には本邦初公開というエピソードもあるらしいです。)
また、ジャケットには4人の誠さんの写真。それぞれの年代ごとに、、、見事に違います^^
でも、「成熟していく」ことは、素敵なことだと思わずには入られない写真たち。

誠さんが音楽を志すきっかけになったという某・Bというバンド^^の、
あるアルバムジャケットにとてもよく似ている・・・とご自身でお話もされてましたね(笑)。

 

*バンマス

もしかしたら、数ある誠さんの「肩書き」的なものの1つなのかも。
誠さんご自身は、「芸名」とおっしゃってましたが^^

数あるバンマス、、、の中でも、2002年後半の桑田佳祐氏のソロプロジェクトのドームツアーでのバンド「The Balding Company」のバンマスを努めたのが、やはりおっきなものでしょうか。

インタビューなどでは、「世話役ですから」と、謙虚におっしゃっておられましたが、、、、
やっぱり音の面以外でも、「任せて間違いナシ」の信頼があるからこそだと言う気もするんですけど。

 

*ビートルズ

誠さんが小学生低学年の頃、来日を経験。
その時の衝撃をもって、今のご自分を最早決定づけたのではないか、とおっしゃるほどの存在。

とりわけポール・マッカートニー氏がお好きなようですね。(アルパム「笑顔に御注意。」の収録曲「遠い日の憧れは」は彼のことですね^^

ビートルズのことをお話になった中で、とってもキュートだなあ♪と思ったお話を1つだけ。
ラジオで、ビートルズの新曲として流れてきた「ヘイ・ジュード」。
そうかあ、新曲かあ、、と思いつつ聴いていたものの、いつまでたっても曲が終らない、、あまりに長いので「ラジオ壊れちゃったのかなあ?」とコドモゴコロに思ったそうです。(思わず「かわいいー」と、同席していた平松八千代さんも呟いたくらい^^

1曲が3分程度が当たり前だった時代の出来事。
そこで常識が覆ったのと同時に、とてもインパクトある出来事として未だに覚えてらっしゃるそうです。(200210月くらい、桑田さんのソロツアー開始直前の特別番組「R&R RADIO」でのお話。)

 

*ブログ(blog

これでニッキをつけている有名人のみならず、一般の方も多くなりました。ミュージシャンの方も例外ではありません。

誠さんのバンドのメンバーさんもやっていらっしゃいます。そして、時々そちらのblogに乱入されているようなのですが・・・(笑)。

 

んが。

 

誠さんご自身名義のものを立ち上げるのを、断固として拒むもののこと^^

 

おそらくご自分の性格上、コメントとかが、ものすごく気になって気になって四六時中見てしまう、、、

のではなかろうかとのこと、、、現状を維持。

・・・さて、誠さんがblogに乗り換えを決断するのはやってくるのでしょうか^^

 

*ホストミュージシャン

誠さんが得意とする役割のひとつ・・・かもしんない。

2004年のマーティンクラブコンサートのツアーに参加されていますが、

誠さんと、ゲスト(訪れる会場ごとに変わる。)という組合せのパターンが出来上がりました。

ご自身のアピールをすることもさることながら、

ゲストの方と、マーティンギターの紹介に心を配るのも忘れない^^

音楽ファンの先輩としての誠さん、水先案内人としての誠さん、、、がごくごく自然にそこにいられるから、

・・・・得意とする、と思うゆえんです。

 

*the bond(ざ・ぼんど)   便宜上、「は行」に載せさせていただきました^^;

2003年。超強力なバンドがデビューを果たしました。

2003
年5月9日(金)自由が丘Mardigrasにてデビューライブが^^自ら紹介を買ってでた、Mr.20周年「斎藤誠プレゼンツ」ということで行われました。(Mardigrasは、本拠地とも言える場所です。)
誠さんは、演奏にも一部参加されました(というか、よく覗きにいらしています)。
2003
年は、2,3ヶ月に一度の割合でライブを行いました。

メンバーは・・・・

Org:片山 敦夫
Dr:河村"カースケ"智康
・・・「(バンドを)やろうよと言い出したヒト」^^。そしてその流れでなんと!!MCもご担当・・・便宜上のバンマス^^;?
ライブでお話になるカースケさんなんてここじゃないと見られません^^
B:角田俊介
G:柳沢"230"二三男

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年くらい前に、一度、片山さん発案でバンドを結成したものの、、その後一時消滅。
2002
年の冬、桑田さんのドームツアー(大阪ドーム)の時、他のお仕事でやはり来阪していたカースケさんが、桑田さんチームの打ち上げに乱入^^
もう一度「バンドやろうよ!!」と持ちかけて、実現したものなのだそうです。(2003年最後のthe bondのライブMCにて、詳しいお話がありました。)

バンド名の由来は、2002年「桑田佳祐ソロツアー・けいすけさん、いろいろと大変ねえ」の際にバンド名をつけよう!!ということで候補に上がったもの中の1つだそうです。
(the bond
からは、片山さんと角田さんがツアーに参加、カースケさんもレコーディングメンバーでした。)
桑田さんご本人には、事後承諾ではありますが(笑)ちゃんとOKをいただいたそうです。

そしてblogも展開中。まだまだこれから楽しみです。

 

【ま行】

 

*マーチン君

2004年からマーティンクラブコンサートのホストミュージシャンを務められていらっしゃる誠さんですが、

その相棒とも言うべき輩なのであります。

「マーティン」君ではなく、あくまでもマーチン君らしいです。

その実体は、ギターのカラダ(D-28)をしたマスコット。

 

誠さんとは「斎藤誠とマーチン君」という連載まで持つ、なかなか侮れないマスコット^^!!

が、時々誠さんを置き去りにして話が脱線することもあるので、ちょっと要注意(笑)。

 

*マーティンギター

2004年より、マーティンクラブコンサートのホストミュージシャンとして、全国ツアー(リバースツアー)へ参加しています。
Waltz In Blue」の売上に関して、スマートウッドプログラムへ寄付をなさっていますが、
その辺りからの繋がりでもあるようです。

ライブでは、最初のうちこそ多少の遠慮はあったものの^^マーティンのギターを何本も弾きこなしておられます。
ギターそれぞれの音色、演奏そのものもさることながら、
ツアー地ごとに変わるゲストの方とのセッションも楽しみの1つとなっています。

途中から、ギターをマイクの音のみで拾う試みを始め、
現在、アコースティックライブでは、基本的にマイク取りになりました。

また、2005年初冬マーティン社を訪問し、
世界でただ1本の「誠さんのギター」を製作依頼。
「ララル」と名づけられたそのギターは2005113日の赤レンガ倉庫でのライブで
お披露目となりました。
これからも、どんどんライブで活躍していくのでしょうね^^

 

*Michael McDonald(まいける・まくどなるど)

言うまでもなく、Doobie Brothersで、ヒット曲をたくさん唄われた方です。
まあ、彼の加入に関しては賛否両論あるところらしいのですが、そんなことより何より誠さんにとっては大好きなアイドルのお1人。ソロに転じてからも精力的な活動は続いています。

誠さんは、昔から「焼き芋を頬張るように」と注釈をつけつつ、モノ真似などされていたようですね(笑)
あ、今でも時折やっておられますが^^
また、どうみても2ndアルバムの「Be-Grayは彼を思い浮かべるな!という方が無理というもの・・・ジャケットからして^^
1st
アルバムの「ララル」に収録され、ライブでも頻繁に演奏される「アメリカよいよい」には、
マイケル・マコトナルドなるクレジットで、それらし〜い^^コーラスが聴けたりもします。

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数年ほど前に、彼が来日したとき誠さん自ら志願して、彼のインタビューが実現したこともあったそうですが(ADLIB誌らしいです。)

なんと2003年には、誠さんが音楽紹介コラムを連載されている雑誌「BRIO」誌上でのインタビューがまたもや実現。
それだけでなく、当時担当していたFMヨコハマ「カフェララル」にもゲスト出演されました。(200339日オンエア)
本邦初公開となったカバーアルバム「motown」の音源も流れ、貴重なお話がたくさん聴けました。
そして、誠さんのギターでYou belong to meのセッションもありました。
私はオンエアを聴きましたが素晴らしかったです。もはや、「声が似てる!!」など呑気なことを言ってる場合ではありませんでしたね。
(その時の音源は、誠さんにとっての宝モノだそうです。そりゃ当然至極ですね^^

この出来事がキッカケで、同年リリースのWaltz In Blueへの「You belong to me」収録が決まったようですよ。

 

*誠に金曜日〜music heaven

放送局:Cross fm(福岡)
放送時期:200245日〜75(毎週金曜日の夜8時半〜9)
放送回数:全14

番組について:
ご本人曰く、「ミュージシャン斎藤誠がこれはいい、これはいける、これはオトナといえそうな曲たちを新旧内外問わずとにかくどんどん紹介していく」番組と言われてました。
 30分の放送時間内に、誠さんおすすめの曲の紹介あり(これが楽しかったです〜いろいろ教えてくださって毎回勉強になってました)生唄コーナーありの盛りだくさんの内容でした。
 回が進むにつれリスナーから恋の相談などされてしまったり・・・
それに答える誠さん、、、とにかく誠さんが喋ってるか唄ってるか曲を紹介されてるかのどれかというとても楽しい番組でした。
ずっと続けて頂きたかったなぁ。
 でも誠さんのHPradioのところにいまだに残っているのがとても嬉しいのです。
またやってくださいね、誠さん。“誠にヨロシク”(←これ、番組のキメぜりふです^^) (真帆さん)

 

【や行】

 

*山根姉妹(山根麻以、山根栄子)

残念ながら、リアルタイムではよくご一緒にライブなどされていた頃を知りません、、(涙)

なので、管理人としてはCDの音源でそれを少し垣間見るのみ。(誠さん名義の作品では、Mah Mah Mah、笑顔に御注意。、DinnerNumber9

(ですので、当時を知る方、、、コメントを補足いただけるとすごく嬉しいです。)

 

ただし、1回だけこのすごい姉妹と誠さん、誠さんのフルメンバーが集結するという、

それはもう奇跡のようなライブに居合わせたことがありました。

確か、2005年のクリスマスシーズンの頃のジロキチ。

本来はフルメンバーも揃わないかも、、というところに、

栄子さんのゲスト出演が決まっていたのですが、

フタを開けてみたら、フルメンバー全員集合!!

そして、栄子さんだけでなく、お姉さんの麻以さんも見にいらしてたという。

メンバーさんたちもすごく嬉しそうだったし、、、

そもそも、こんな絶好の機会をただただ黙って見過ごす誠さんではなく(笑)、

アンコールではお姉さんも引っ張り上げて、セッションが始まっちゃった!!

はっきり言って凄かったです。音楽の神様にひたすら感謝でした。

 

その後、2007年発売の「アコギでクラプトン」に、麻以さんとのデュエットで「Presence Of The Lord」を収録。

ほぼ一発録り!という奇跡のテイクというのを主宰の雑誌の記事で読みました。

 

*横浜

誠さんの楽曲に「横浜」というのがありますが、やはり、ゆかりは深い場所なのかなあと。

(色々な想いがあるゆえ、その象徴的な場所の名前が「横浜」なのかなと)

 

エフヨコでは、ラジオ番組を2回担当されていたし、横浜でのライブも、フリーライブ(ランドマーク、クイーンズスクエア)や、赤レンガ倉庫など。

その昔、PV撮影に訪れたこともあったのだそうです。(「君への想い」の頃かな)

 

【ら行】

 

*LA-LA-LU(ららる)

1983年、誠さんの記念すべきデビューアルバム。

ララル、、これは誠さんの大好きなディズニー映画「わんわんものがたり」から来ているみたいです。
何年かたつと、聴いている方が、「わっ、恥ずかしーー」という音もある中、そういうことがない。
その証拠に、いまだにこの中からライブで演奏される重要なナンバーが何曲もあるのですよね^^
ゲストプレーヤーには、先輩サザンオールスターズからも、、、ナンバーワンバンドとしての繋がりからか、小林克也氏とか、、、
とはいえ、デビューアルバムではあるけれど「斎藤誠」というアーティストの輪郭がはっきり出ていると思います。

で、なんだかんだ言いながら、管理人にはかなり大切なアルバムで、必ず何かあると引っ張りだして聴いているアルバムです。
タイトルチューンは、イントロだけでキュンとなります。

ジャケット・・・・は間違いなく本人です^^
当時、25歳になられていた筈ですが、、、^^;
一緒に映っているギターは、、今でも誠さんの一番の相棒。テレキャスターシンライン。
(飲むときも連れ歩いているという噂は本当なんでしょうか(^^ゞ)
ただし、色は赤に塗り替えられる前のものです。

今後加筆修正の可能性、大いにあり。

 

【わ行】

 

*Waltz In Blue(ワルツ イン ブルー)

誠さん渾身の20周年記念の企画アルバム」

冗談だとは思いますが、、、今までの中で「ジャケット一番いい!!」と、ベースの角田さんに言わしめたアルバム^^
3パターンぐらいにジャケットチェンジ出来るそうです。興味ある方はトライしてみて下さい。)
基本的にカバーアルバムですが、1曲はタイトル曲「Waltz In Blue」のオリジナルを含んでいます。
誠さんが大事に大事にしてきた、おもに洋楽(邦楽)たちをギターを中心にして、シンプルで無駄ない音で聴かせて下さいます。

ゲストボーカルには、根本要、奥田民生、鈴木桃子といった豪華な布陣^^
特に、鈴木桃子さんがコーラスに参加したYou belong to me
2003
3月誠さんはマイケル・マクドナルド氏とお会いになったわけですが、カフェララルにご来店になった折、この曲を誠さんのギターで唄われるという、、、まさしく夢の競演がありました。このときのことが、きっとキッカケなんだろうと思います。

記念ライブのMCでもおっしゃってましたが、自分を取り巻く自然、ご自分の周りに関わってきたいろいろな方、ファンのみんな、、、、、
いっぱい、いっぱいの感謝の気持ちが込められているのだとか。
タイトル曲は、初めてフルメンバーが揃ってトラックの中に収まっている、これもまたとても貴重な記念すべき出来事です。

そうそう。誠さんのHPにて収録曲あてクイズなるものも展開されましたよね^^

 

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